訃報 西城秀樹さんの死亡日は2018年5月16日

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昭和のスーパースター西城秀樹さんが、5月16日、急性心不全のためお亡くなりになりました。今回はその輝かしいスターとしての歩みを紹介していきます。

 

西城秀樹ってどんな人?

アイドルらしからぬ情熱的な人で、ライブ会場では歌を聞いていない人を追い出したり、マイクを投げて幕を閉めたりなんて事もありました。アイドルとして騒がれる事があまり好きではなかったそうですが、そのプロ意識は徹底しており、プライベートを見せないということを徹底していました。

 

昭和30年〜

広島県で生まれ、両親の影響で幼いころから洋楽を聞いて育ち、バイオリンやドラムを演奏していました。ご両親は、別荘を数十件持っているほどのお金持ちの家庭だったそうですが、いわゆるボンボンのおぼっちゃまとして甘やかされて育ったという訳ではなく、かなり厳しく育てられたそうです。食べ物を箸で掴む時に、少し滑らせて掴み損ねただけで怒られてしまうほどの厳格な教育だったようです。この抑圧された環境もあったせいか、当時子供達に大人気だった「スーパマン」に強い憧れを抱いていました。スーパーマンに憧れすぎて、車庫に入ってスピードを緩めた汽車を素手で止めようとして、めちゃめちゃ怒られた経験もあるようです。

 

中学生時代〜

西城秀樹さんの初恋のマドンナは、バレー部の子で、水泳大会で優勝するほどかなりスポーティーで活発な女の子だったそうですが、ある日、自宅の子供部屋で西城秀樹さんのお兄さんと愛しのマドンナがキスをしているところを目撃してしまったようです。この事件は青春のトラウマとして残っているのかと思いきや、そのあとすぐに恋人ができて同じ子供部屋でキスをしたそうです。 

 

昭和47年

17才で、「恋の季節」で歌手としてデビューします。甘いマスクと圧倒的な歌唱力で瞬く間に人気を獲得していき、ヒット曲を連発します。 

 

昭和54年

24才の時に、「ヤングマン-YMCA-」でミリオンヒットを達成します。西城秀樹フィーバーを巻き起こします。

 

西城秀樹さんの代表曲

  • 1974年「激しい恋」
  • 1974年「傷だらけのローラ」
  • 1977年「ブーメランストリート」
  • 1979年「YoungMan -YMCA-」
  • 1983年「ギャランデゥ」

 

西城秀樹さんが起こしたブーム

  • バーモントカレーのCMでのセリフ「ヒデキ、感激ッ!!」が大流行
  • 同時期に大活躍していた「郷ひろみ」「野口五郎」とともに「新・御三家」と呼ばれました
  • 今では当たり前になった野球場を使用してのコンサートは西城秀樹さんから球場ライブが始まりました
  • ライブで定番のペンライトも、西城さんが「みんながどこにイルカ分かるように、家から懐中電灯を持ってきてくれ」という呼びかけから始まったのです
  • ブーメランパンツ
  • ギャランデゥ(おへそ周りの毛)
    *松任谷由実がラジオで「西城秀樹のようなギャランデゥ集まれ」と、毛深い人の意味でギャランデゥを使用した事で定着したようで、本当はギャランデゥは女性の名前だそうです。

 

役者としても活躍

高視聴率を記録した伝説のドラマ「寺内貫太郎一家」に役者としても出演し、役者としての才能も発揮します。

 

結婚生活

一生独身を豪語していた西城さんですが、46才でご結婚されます。お子さんも3人いらっしゃいます。

 

脳梗塞

48才の時に、脳梗塞で緊急入院されます。違和感を感じながらも韓国でのコンサートをやり遂げ、帰国後に病院に行かれたそうです。退院後、躁鬱病や各所のリハビリに苦しみながらも家族の支えで乗り切ったそうです。発症後わずか数年でテレビ出演やコンサートの成功をおさめました。

 

脳梗塞の再発

59才の時に、脳梗塞が再発し、右半身まひと言語障害が後遺症として残ります。しかし、「人に希望を与えていく歌手になりたい」とその後も筋トレやリハビリを行い、新曲「蜃気楼」を含んだ還暦記念アルバムをリリースし、デビュー45周年を飾るコンサート活動も行っていました。

 

永眠

63才で、偉大な記録と日本全国民に記憶と感動を残した人生に幕を下ろします。

 

 

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