政治の歴史を知って社会の仕組みを理解!自民党とは?

政治の歴史を知って社会の仕組みを理解!自民党とは?

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政治の歴史を知って社会の仕組みを理解しましょう。今回は自民党とは?から設立した背景や理念、政策、イメージなどを紹介していきます。

 

自民党とは

自由民主党のことで2018年現在、日本の与党です。

自民党のこれまで

戦後、社会党に左右される政治

1955年に吉田茂率いる自由党から政権を奪い、鳩山一郎率いる日本民主党が政権を担います。しかし、日本民主党は、社会党の協力もあって自由党から政権を奪取することができただけで、少数与党で力があまりありません。実際に、議長選挙などでは社会党が自由党側に協力したりして思うように議席を増やすことができません。社会党がどこの味方をするかで政治が変わるというのが実際のところでした。

自民党・55年体制の成立

さらに左派と右派で仲違いしていた社会党が合併され日本社会党が結党され、より勢いが増し、日本社会党に政治を転がされるのは好ましくないということで、自由党と日本民主党が合体して、自由民主党が成立します。ちなみに当時自由党の党首”緒方竹虎”と日本民主党の党首”鳩山一郎”のどちらを内閣総理大臣とするかで議論が行われましたが、緒方竹虎の急死により、鳩山一郎が内閣総理大臣を務めることとなりました。

こうして自由民主党と日本社会党という2大政党によって、政治が行われていく”55年体制”が成立したのです。

なぜ55年体制が長く続いたのか

自由民主党と日本社会党は、表向きでは対立をしているのですが、裏側では互いの思惑が合致していたからなのです。日本社会党の前身である社会党は以前政権を担って大失敗(片山哲)をしているため、理念となる”憲法保護”が可能な34%の議席が確保できれば十分なので、野党第一党として政権を奪取しようとせず、自由民主党を”立てる”という政治転覆の起きづらい政治体制が実現されたのです。

民主党がこの体制を崩す

現在の民進党の前身である民主党は、日本社会党から分裂してできた政党です。この55年体制に異議を唱え、切り崩しにかかるのですがそれはまた別の機会に。

 

自民党内閣の実績

自由党時代に吉田茂がサンフランシスコ講和条約でアメリカから独立(アメリカからの一方的に守ってもらうという約束=実質的にはアメリカから支配されたまま)します。そして自民党が成立し55年体制が始まると、今度はアメリカじゃなくソ連と仲良くしようということで鳩山一郎内閣は「日ソ共同宣言」を結びます。続く、石橋湛山は病に倒れ、岸信介内閣へと続きます。岸信介はアメリカから一方的に守ってもらうという対等ではない条約からより対等な条約を結びます(新安保条約=アメリカが日本を守り、日本は在日米軍を守るという約束)。このより対等で密な関係をアメリカと結ぼうという動きに反発するのが”安保闘争”です。日本社会党はソ連の出資で成立している政党なので、アメリカ側について欲しくないソ連は日本社会党を通して新安保条約に反対するのです。続く、池田勇人内閣は所得倍増計画によってアメリカを追い越せ追い抜けと経済を発展させていきます。これに続く佐藤栄作はさらに経済発展を加速させていきます。沖縄を取り戻したのも佐藤栄作内閣時代です。この後の田中角栄時代では「日中共同声明」で中国と仲良くなります。そして、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘と続いていきます。この後、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一と続いていき、細川護熙の連立政権内閣が誕生し、55年体制が終わります。

 

自民党の一般的なイメージ

保守

 

自民党の主な政策・理念

一応は保守主義など政策・理念は掲げてはいますが、革新的な日本社会党に対抗して、その反対の政策を打ち出すという事を行って行くため、様々な人間がこの党に属しています。