小説講座の神講師!根本昌夫の授業と師匠平岡篤頼の影響

小説講座の神講師!根本昌夫の授業と師匠平岡篤頼の影響

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ゴロウ・デラックスに出演して話題になった根本昌夫氏の授業内容や師匠である平岡篤頼氏についてやその影響など根本氏のバッグボーンを紹介していきます。

 

授業スタイル

基本的に、作家の作品や受講生の書いた作品をお互いに発表し合って意見や気づき、感じたことを議論するといった形で進んでいきます。ゴロウ・デラックスで行っていたような根本昌夫氏が直接赤ペンを入れていくといったことはないようです。一方的に赤ペンを入れて行くことをしないのには理由があります。物語(文章)は、「お互いに意見を通い合わせて”書き手の納得感”があって初めて訂正されるべき」といった考えがあるからなのです。この考えに至ったのには、根本氏の師匠にあたる「平岡篤頼」の影響があります。

 

師匠 平岡篤頼

教授としての平岡篤頼

平岡篤頼(1929〜2005)氏は、早稲田仏文文芸科の教授です。この学科では、卒論として小説の提出も可能で、大人気作家「角田光代」さん平岡氏に卒論として小説を提出したそうで、その採点は過去最高の95点だったそうです。(平岡氏は提出された小説に点数をつける)

 

翻訳家としての平岡篤頼

19世紀フランスを代表する小説家であるバルザックやフランス文学の転換点となった”ヌーヴォーロマン”と呼ばれる作品を中心に翻訳を行っていました。このときパトリック・モディアノやクロードシモンといったノーベル文学賞作家の作品の翻訳を行っていました。

 

ヌーヴォーロマンってどんな小説?

頭に浮かぶ雑然とした混沌をそのまま文章化し、それを読者に対して物語性(ストーリー)を見出させようと促す小説です。頭に浮かんだものを言葉にして文章にしていくだけで面白い作品を作るというのはとても難しいことでした。しかも、平岡氏はそんな混沌を言葉に落としたフランス語の小説を、日本語に翻訳していく作業というのは単純な言語変換ではなく、もう一度混沌に戻してからそれを日本語にするといったことを行っていたため、小説を1から作ることとほとんど変わらない作業をしていたと言えます。

 

多彩な平岡篤頼

他にも、文芸評論家や「早稲田文学」の発行人、小説家でもあります。小説家としては、1982年芥川賞最有力候補とまで言われるほどでしたが、残念ながら受賞ならず、もしこのとき受賞していたら小説家一本となり、角田光代さんも卒論を平岡氏に提出できていなかったでしょう。

 

そもそも小説とは By根本昌夫氏

小説を書くときには必ず書き表したい対象となる”現物”が存在します。この現物とは、書き手の周りでまさに起きているものでだったり、頭の中に思いついたものだったり、過去に起きたものだったりします。様々なものが言語化される前にはありのままの”現物”として存在し、それを主観・意図によって切り取り、言語化していくのです。この点においていえば、「ノンフィクション」の書き物(ノンフィクション小説やエッセイなどを含んですべての書き物)は「フィクション」であると言えるというのが根本さんの考えです。

 

 

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